ぷち ぼぬ~る。

シンママ徒然日記

お金を払わない人

元夫は見栄っ張りでした。

私は、あまり結婚式に憧れがないタイプで、

そこにお金を使うくらいなら、旅行や

新生活にお金をかけたい、と思っていました。

が。

元夫は、結婚式は派手にやりたい、

私はもちろん、自分もお色直しをする、

と言って自ら「ゼクシィ」を購入したり

ブライダルフェアに足を運んだりしました。

更に、「婚約指輪を買わなくては」

「結納もやらなくては」と言い出しました。

 

私の両親は特に、結納や仲人をたてる事にこだわりはなく、

元夫の両親は元夫自身が、「親は関係ない」と拒否していたので

私自身、「結納」だなんて考えた事もありませんでした。

 

お金ないのに、なぜやるんだろう・・・

とぼやいた私に、母が「それだけ大切に考えてくれている、

という事じゃないの? 必要だ、と思った時にお金を惜しまないで

使える人なのよ」と言いました。

元夫も私も、同世代の平均年収より高い収入を得られる仕事をしていたので、

今使っても、これから二人で貯めていけばいいか、と考え直した私。

 

けれど。

結局元夫は「結婚式が終わったらすべてかかった費用をまとめて、

清算したほうがわかりやすい」」と言い、結納も、婚約指輪も、

一旦は私が支払う、という形を取ったのでした。

内積み立てを解約しなければ支払えない金額で、

元夫にそのことを告げると、「どうせ結婚したら財布は一つだし、

お前の貯金がゼロになっても俺のは残るんだから」と言われ・・・

確かに、両方を切り崩すより、どちらかは取っておいたほうがいいか、

と思ってしまったバカな私。

 

結局。

結納にかかった費用も、婚約指輪のお金も、戻ってくる事は

ありませんでした。

ただ、そのおかげ?で、離婚した時、結婚指輪は捨てましたが、

婚約指輪は「自分で買ったものだし、ま、いいか」と今も手元にあります。

 

お金の事をあまり言いたくない。

結婚する前も、結婚してからも、私はずっとそう思っていました。

お金に関する話題で、元夫の提案に少しでも異を唱えると、

ものすごく不機嫌になるし。

最初は「え? それってなんか、変じゃない? 私ばかり損してない?」

と思って、なるべくやんわりとその事を伝えると、元夫が

「お前は金の事ばかり言うな!」

と言うので自分がとってもイヤらしい人間のような気がしてしまい、

それ以上言えなくなる。

そんな感じでした。

元夫と過ごす時間が長くなるにつれ、言って嫌な思いするくらいなら、

自分でなんとかしよう、と思うようになっていきました。

 

今思うと、それがいけなかったと思います。

もっと早い段階で、お金の事もしっかり話し合って、

わかりあえないのであれば、離れるべきだった。

 

過去の事をあれこれ言ってもどうにもなりませんが。

でも、そう思います。

お金は生活していくうえでとても大切です。

なくてはならないものです。

その「お金」について、しっかり話し合えない人とは

家庭を築いてはいけませんでした。

 

 

 

モラハラ夫と家族の関係

 結婚を決めた時、元夫に「ご家族に挨拶に行かないとね」と言うと

「就職してこっちに来て以来両親とは会っていないし、連絡も取っていない」と言いました。そうはいっても、「結婚」するのであれば、連絡しないわけにもいかないだろうし、と何度か話を持ち出しても「いいんだよ、もう大人なんだから」とか「親も忙しくてなかなか時間がない」と言い、そのうち不機嫌になるので、挨拶できないままでした。

2人兄弟で、兄がいる、とも聞いていましたが、「ずっと海外にいるから、もう何年も会っていない」と言い、「結婚式に呼ぶ気もないから、別にいい」と言うのです。

それについて何か言おうものなら「家族の在り方はそれぞれ違うんだから、お前の意見を押し付けるな」と言われ・・・確かにそれもそうかも、と黙っていた私。

 

 そんな風に、「家族とは会っていない」と言う割に、元夫の会話は家族自慢が多く、義父(元夫の父)が有名企業の社長であること、義母が良家のお嬢様だったこと、義兄も有名な外資系企業の重役であることを頻繁に話していました。

幼い頃、家にはお手伝いさんがいた、とか。

幼稚園にはタクシーで通っていた、とか。

そんなお坊ちゃま育ちをアピールしつつも、私の目の前にいる当時の元夫は、まさに「安物買いの銭失い」を地で行くような人で、庶民の私は、元夫から聞かされるリッチな実家の話におののきつつも、長く疎遠になっている事で、元夫は庶民派になっているんだろう、と安心したりもしていました。

 

 結婚の話が出た後から、元夫は積極的に式場巡りをしていました。

男の人はそういった事が好きではない、と思っていたので、積極的に動く元夫を見て、

私への優しさから頑張ってくれているのだ、と勘違いしていた私。

今思えば、付き合っている期間中「?」と感じる事はいくつもありましたが、私自身が元夫の言動を好意的にとらえ、?と感じた疑問を打ち消す癖がありました。

 

 式場巡りをするうちに、結婚式にかかる費用を知った元夫、自分には貯金がないので、私にとりあえず出しておくように言います。ご祝儀で元が取れるから損はない、とまで言って。けれど、私も全額負担できるだけの余裕はなく・・・

では「婚約」という形をとり、一年後の挙式に向けて二人で貯金をしよう、という話に落ち着きました。

一年後、という話が決まったころ、元夫が「親に会いに行くか?」と言い出しました。これまで何度言っても拒否してきたのに、なぜ急に?と思いましたが、挙式の時期が決まった事で、やはり元夫も考え直したのだろう、と思い、義父母に挨拶に行くことに。

 

 義父母の家は隣県にありました。車で片道3時間程度。

週末に行くことになっていたのですが、元夫はこの時「俺は先に行って一晩泊まるから、お前は後から電車と新幹線使って来い。駅まで迎えに行くから」と言ったのです。

え?一緒に行くんじゃないの?

と思いましたが・・・

長年音信不通だったみたいだし、積もる話もあるのかもしれない。

それに、ご実家への挨拶は、一緒に行かないほうがいいのかも

と思い、従いました。

 

 初めて会った元夫の両親は口数も少なく、「実家は金持ち」と聞いていましたが、私の実家と変わらない、普通の戸建て住宅、しかも古い家でした。

家の中は物であふれ、お世辞にもキレイとは言えない状態。

通されたリビングのテーブルの上にも新聞や雑誌、郵便物、食べかけのお菓子等が乗っていて・・・そこに、義母が「お紅茶でも」と言って、マイセンのティーカップ日東紅茶ティーバッグで紅茶を淹れてくれたのが印象的でした(笑)

 

 折り合いが悪く、音信不通だった、と言っていた割に元夫は実家で寛いでいて、しかも、とにかくずっと元夫が話していました。私は紹介されることもなく、義父母が私に何か質問してくることもありませんでした。

1時間ほど経ってから、元夫が「来年、式挙げるから、とにかく来い。詳細は時期が来たら連絡する」と言い、義母が「そんな事言ってもあなた・・・」と言うのを最後まで聞く事もなく、元夫は「帰るぞ」と玄関へ。

 

 玄関で頭を下げる私に義母は何も言わず。

私は「あまりよく思われていないのかな」と思いながら、元夫の実家を後にしました。

 

 

今思えば。

この時、元夫は先妻と離婚裁判中。

実家と音信不通どころか、頻繁に連絡を取っていたはずです。

そして、前日に元夫が一人で実家に行ったのは、私に対して、義父母が本当の事を話さないように口止めをする為だったのです。

 

元夫と離婚を決意した時、義母に直接聞いたところによると、私と結婚する時、元夫は「子供がいる事、離婚裁判の事も伝えてある。だからこそ、婚約期間を長く設けてその間に片が付くようにした。彼女も了承済みだが、そのことについて触れると傷付くから無用な発言は控えるように」

と義父母に言ったそうです。

実際には、私に隠していたくせに。

お金がないから式を挙げられなかったくせに。

 

世の中に、こういう嘘をつける人がいると思っていなかった私はすっかり騙されました。そして。義父母のように丸め込む事ができないであろう義兄とは、結局、結婚して10年以上会う事がありませんでした。

 

元夫の性格を知っていたから、争いを避けたかったのかもしれませんが、言いなりになってずっと黙っていた義父母もどうかと思いますが・・・

やはり、家族の関係も、私には理解できないものだったなぁ、としみじみ思います。

 

 

 

婚約から結婚まで

私は中世ヨーロッパの歴史が大好きで、社会人になって、お金を貯めて、ヨーロッパ旅行に行くのが夢でした。

 

その事を交際中の元夫に話したところ、

「新婚旅行で行けばいい。長期休暇ではない時期に

まとまった休みが取れるし」

と言いました。これがプロポーズ?だったのかなぁ。

幸い、私も元夫も有給取得がしやすい企業にいて、結婚すると、二週間くらい休む事が出来ました。

 

当時、26歳になっていた私。

持病があり、入退院を繰り返し、再発の恐怖をいつも感じながら、仕事も遊びも全力投球していました。でも、このころ、再発を繰り返す持病がある、という事は結婚も出産も難しいのでは、と思っていました。実際、入院中に看護師さんにそう言われたこともありましたし。

そこで、元夫に

「知っていると思うけれど、私には持病があって、子供は産めないのかもしれない。ここから何年も経てば、完全寛解といわれる状態になって、もしかしたら出産できるかもしれないけれど、あなたとは年齢が離れているし、結婚してすぐ子供を、と思うのであれば、私が相手だと無理だと思う」

と伝えました。

 

すると元夫は

「俺は子供はどうでもいい。できればできたでいいし、できなければできないでいい。そんな事で結婚する、しないを決めたりしない。大事なのはソコではないから」

と答えました。

私はこの時、子供が産めないかも、と悩んでいる私に対して、そう言ってくれる元夫を「やはり、なんだかんだ言っても優しい人なのだ」と思ったのですが・・・

元夫のこの言葉は、本当にこの通りの意味で、「子供はどうでもいい」だったのです。私が勝手に自分の都合が良いように、というか、自分に耳障りが良いように解釈してしまっただけで。

 

とにかく、都合よく解釈した私。

子供ができなくても、責められる事はないんだ。ケースバイケースで幸せな暮らしを送ればいいんだ、と思って安心したのです。

後に、両親に元夫との結婚の話をした時、軽く反対されたのですが、その時も私は「治らない病気があって、子供ができないかもしれなくて、それでもいいって言ってくれる人はそんなにいないと思う」と母に言った事を覚えています。私が病気になった事で、ひそかに自分を責めていたらしい母は、私のこの言葉に「この子はこんなにも病気を負い目に感じていたんだ」と改めて思ったそうです。

 

そんな感じで・・・元夫との結婚が決まり、両親にも報告したのですが。

ではいつ結婚するか、と話が具体化した時、衝撃の事実がわかりました。

元夫はこの時41歳。年収は700万くらいあったと思います。そして、まさかの貯金0! しかも車を買ったローンあり。しかもしかも、その車、既に10年乗っていて、まだローンがあるという・・・

 

そして、にもかかわらず元夫は結婚式も挙げるつもりだし、ヨーロッパへ二週間の新婚旅行も行くつもりだ、と言ったのです。

その費用、誰が出すの? と聞いたら、結婚すれば二人の財布は一緒なんだし、どっちにしても俺のほうが稼ぐんだから、俺がいろいろ負担する事は間違いない。だから、ここはお前が出しておいて損はないだろう、と言ったのでした。

 

でも。損とか得とかではなく、私にもそんなお金はなく。「せめて折半にならない? もしくは式はあげない、とか、旅行はお金が貯まってからにする、とか」と提案するも、元夫は「この歳で結婚するのに、ある程度金かけた式じゃないと恥ずかしいし、旅行はその時行かないといけなくなる」と譲りません。

で、結局、「一年かけてお金を貯めて、それから式を挙げよう。それまでは婚約期間という事にしよう」という事に落ち着きました。

 

今思うと。

当時元夫は「家庭」があったのですから、お金はなくて当然・・・とはいえ、生活費も入れず、好き勝手やっていたようですが(この時既に弁護士をつけて離婚について調停中だった)、車のローンのみならず、住宅ローンもあったようです。

そもそも。この時私が「わかった! お金は私がすべて払うからすぐに結婚しよう」と言っていたら、元夫はどうしたのでしょう? 重婚するつもりだったのでしょうか?

 

再婚なのに、盛大な挙式をしたがったり、新婚旅行にこだわったり・・・今考えても、元夫と言う人が理解できません。

 

今思えば違和感だらけ

元夫との交際期間、楽しい事もたくさんありました。

元夫はとにかく「非日常」が好きで、旅行によく誘ってくれました。

映画、とか、ショッピング、とかそういった「よくある」デートはほとんどしなかったような気がします。

ひたすら、遠出、遠出。夏はマリンスポーツ、冬はスキーやスノーボードにも行きました。

お金のかかるデートだったけれど、私は実家暮らしのOLで、それなりにお給料ももらっていたので、割り勘デートは苦になりませんでした。友人には「その年の差(15歳)で、割り勘デートは私は無理!」と言われたりもしましたが・・・

それよりも、私が気になったのは、元夫が「ただ(無料)」のものだと、必要なくても大量に使おう、とする事です。

例えば。

ラーメン店やうどん屋さん等で「ネギご自由にどうそ」とか「天かすご自由に」とあると、どんぶりからあふれるんじゃ、というくらいに盛るのです。

「ただ」じゃない場合、山盛りにするほど好きではないのに。

ペーパーナプキンも、「そんなにいっぱいどうやって使うの?」ってくらい束で持ってきて、2/3くらいを持ち帰ります。メガネ拭きにする、とか言って。

あと、街中で配られるポケットティッシュは、自ら手を出してもらいます。私がその時必要なくて断ると「なにやってんだ、もらってこい」と言うくらいです。

高速道路のSAで配れらる地図、全くいらないのに2、3部もらいます。車の中に溜まっていく一方。

 

デートの度に目にする、というわけではないのですが(そういうシチュエーションがない場合もあるので)、「もしやケチ?」と思い、ちょっと違和感、というか不快感を感じていた私。

でも、元夫は「俺は必要なものには惜しみなく金を使う。ただ、無駄使いはしない。金銭感覚がしっかりしているから」と常に言っていたので、「ああ、そういう事なんだな」と思ってもいました。

 

そうそう。

ビジネスホテルでも、ラブホテルでも、必ずもらえる備品は全てもらってきていました。使い捨てのスリッパとかも。女性用のアメニティもすべて。

でも、使うわけではなく、結婚した後も、使い捨て歯ブラシやボディスポンジ、割りばし等は家の中に常にものすごい量ありました。古びて、包装が薄汚れた感じになって、触りたくもない状態で・・・でも何度言っても捨てようとはしませんでした。

 

私は、元夫のこの癖、というか、行動が嫌でした。

更に嫌なのは、元夫自身が、そういった行動を「ケチくさい」もしくは「恥ずかしい」と思っていたであろう、という事。元夫は、徐々にそれを「私」にやらせるようになりました。「もらってこい」とか「お前のカバンに入れておけ」と。

よくある、会計のタイミングでトイレに行く人、みたいな感じで

「俺はあっちに用事があるから、お前、あれをもらってきとけ」と言ってみたり。

「俺、手ぶらだから、お前のカバンなら入るから取ってきて入れといて」とか。

初めは、言葉通りに受け止って、「ええ~」と思いつつもやっていた私。

でも、そのうち気が付きました。元夫はケチで物は欲しいけれど、人目が気になるし、自分でも恥ずかしい事だと思っている。だから、私にやらせるんだ、と。

 

その事に気が付いた私は、思い切って元夫に言いました。

「どうせもらっても使わない事のほうが多いし、無駄になるだけだから、必要ないものをもらうのはやめない?」

元夫はいきなりキレました。

「なにがいつ必要になるかなんてわからないだろ。お前は湯水のように金を使うタイプだな! もういい!お前には頼まない!」

 

今思えば「もう頼まない」と言われたんだから、「ラッキー♪」で良いのですが。

この時の私は元夫を怒らせてしまった事にうろたえ、「もういい」という言葉に異常に反応してしまい、それからは、自ら進んで「これ、もらうよね?」と必要もない歯ブラシをもらったりしていました。

 

 

元夫 最大の嘘

仕事関連の勉強会や、ボランティア、それにかかわるメンバーの飲み会、等で会う回数が増えるうちに、元夫から、食事に誘われました。

ただ、私に好意がある、という事を感じさせる誘い方ではなく。

その勉強会に絡めて、知識、経験、技術の少ない私に、個人的に教えてあげる、という理由のお誘いでした。

最初は曖昧に言葉を濁していた私ですが、何度も言われるうちに、「これは本当に行かないと、足手まといになっているという事かも」と思い、筆記用具や資料を持って特大カバンで食事に行きました。

 

待ち合わせ場所に現れた元夫が連れて行ってくれたお店は、チェーンのパスタ店でした。「デート」ではないし、腹ごしらえして、お勉強をするにはちょうどいいのかも。最初に誘われた時、変に勘ぐって悪かったなぁ、私って自意識過剰なのかも、と反省しつつ、お店に入りました。

が。

勉強会の「べ」の字が出ることもなく。

終始元夫の学生時代からの武勇伝と、今後いかに自分がBIGになっていくか、という野望を聞く事に。更に、「今度、俺のバイクに乗せてあげる」という元夫。外国製の大きなバイクに乗っているそうで、「なかなか乗る機会ないから、良い経験だと思う」と言われました。「はぁ、そうですね」と返事をしつつ、この人、どういうつもりなのかなぁ、と思っていたのですが・・・

食事も、ひとりきりの元夫の自分話も終わった時、元夫が

「俺が払ってもいいんだけど、そうすると気を遣うだろうから、ここは割り勘にしておこう。端数は俺が多く持つから」

と言いました。

で、私は、この食事会には深い意味はなく、気を遣わず楽しめばいいんだ、と思ったのでした。

 

今思うと、「割り勘」って言っても、元夫のほうが多く食べ、更にアルコールも飲んでいたんですが。

 

今になって思います。「あれ?」と思った事をそのままにしないほうがいい。すぐに問いただせなくても、流すことなく「違和感」として覚えておいて、それが積み重なるのであれば、それは目をつぶらず、ハッキリさせたほうがいい。

周りの人に話して、アドバイスをもらうのも良いかもしれない。

 

とにかく、このころの私は、ただひたすら、自己肯定感が低く、モラハラ人間の格好の餌食となるタイプでした。

 

そうして、二人で会う回数が増えていき、周りの人達から「付き合ってるの?」と聞かれる回数が増え・・・ある日、元夫から「俺は付き合ってるつもりだけど」と言われた私。けれど、この時、私は「え、私はそういうつもりではありませんでした」と、私にしてはハッキリと言ったのです。

すると元夫は「そうか、それならいいや。俺と付き合ったら楽しいって事を教えてやる」と言いました。そこからは、会うたびにサプライズの連続。

流行のお店や、ちょっと遠い観光地、出張土産、と言ってブランド品をもらった事も。

メールも電話もマメになり、「私の事を好きでいてくれるんだなぁ」と思うようになると、私も元夫を意識していったんだと思います。

 

ただ、気になる事が一つ。当時アラフォーだった元夫。これまで結婚した事がないのか、ないとしたら、その理由はなんだろう。そう思って、元夫に直接聞いてみたのです。そこがクリアにならないと、お付き合いはないな、と思っていました。

元夫からの返事は

「実はバツイチなんだ。学生時代から付き合っていた彼女と就職を機に結婚したんだけど、早く仕事覚えなくちゃ、と必死で働いていたら、浮気されて、男と出て行った」

でした。

それ以来、彼女は出来ても結婚までには至らなかった、という元夫。

私は、その話を信じ、可哀想、と思い、私は決して彼を傷つけないようにしよう、と思いました。

そうして、私と元夫はお付き合いをスタートさせ、一年後、「婚約」する事になります。

 

ところが!

この時、元夫は既婚者でした。しかも、先妻(当時は奥様)のお腹には赤ちゃんがいました。私と元夫が一年の月日を経て、婚約をした頃に、お腹の中にいた第三子が誕生しているのです。

私がこの事を知ったのは、離婚調停を申し立てた時でした。

つまり私は交際当初は不倫をしていて、元奥様から見たら「不倫略奪婚」になるわけです。とはいえ、この時、既に夫婦仲は破綻していて、元奥様も離婚を考えていたようですが。

 

まさか、婚歴や子供の事で平気でうそをつく人がいるとは思っていませんでした。自分の実の子供ですら、存在を「無」にできてしまう元夫。罪悪感もなく、平気で嘘をつく人でした。

特発性血小板減少性紫斑病

20代の頃、かなりの月日を病院で過ごしました。

短大を卒業し、地元の企業に就職が決まった私。

バブルは崩壊し、就職難と言われた時期に、大手企業に就職が決まり、私自身はもちろん、両親も、とても喜んでいました。

仕事はとても忙しく、でも、職場の人間関係が良く、やりがいのある仕事で、毎日が充実していました。福利厚生もしっかりしていて、社内にはいろいろなサークル活動もあって、忙しく仕事をしつつも、フラワーアレンジメントを習ったり、フランス語を習ったりと社会人生活を楽しんでいた私。

 

そんなある日。

ふと、自分の二の腕に青あざがあるのを見つけます。

もともと、そそっかしく、いろいろなところにぶつかったり、躓いたりする私。

どこかでぶつけたのかな?と思っていました。

その頃は、インラインスケートやテニス、とスポーツも楽しんでいたし。

でも、少し気にしてみると、太ももにも、二の腕の内側にも・・・ぶつけた記憶がないのに、痣が増えていく。

と同時に、歯を磨くと毎回出血する。

なにかおかしいかも。

そう思いつつ、仕事も遊びも忙しく、病院に行かなかった私。

 

ところが。

生理が始まったと思ったら、10日経っても終わらず。

これは本当におかしいぞ、とやっと重い腰を上げて受診した私。

自宅近くの内科に行ったのですが、痣を見せ、生理の話をすると、すぐに採血。

そして、そのまま

「紹介状かくから今から大きな病院に行って」

と言われ、その日のうちに市内で一番大きな総合病院で診察。

 

そして。

「血小板の値が少なすぎる。このまま入院だね。」

と言われたのでした。

 

幸い。

私は実家暮らしでしたので、すぐに母親に連絡をし、入院準備は母がすべてしてくれました。が、問題は入院期間。

医師からの説明では、その時、私の血液中の値はかなり低く

(正常値は14万~34万/μL、これが血小板10万/µL以下だと「特発性血小板減少性紫斑病」の診断基準の一つになるらしいのですが、その時の私は1万くらいでした)

詳しく検査をする必要があるが、多分「特発性血小板減少性紫斑病」であると思われ、いずれにしても、血小板の値を5万以上にしないと、病院からは出せない、と言われました。

その為には検査→治療が必要。治療はステロイドの大量投与になり、感染予防のためにも入院が必要。入院期間は3ヶ月~4ヶ月くらいになる、と言われました。

 

21歳。社会人一年生。3ヶ月も仕事休んだらクビになるんじゃないの???

というか、その病気、なに? 血小板ってなに? というか、私、元気なんですけど。

 

そんな感じでした。

病気の事よりも、会社を休む事、しかも長期・・・それが最大の心配でした。

あと、週末に予定していた合コンに行けなくなる!?みたいな。

けれど・・・この時から、長い長い私の闘病生活がスタートします。その時はまだ現実味がなかったけれど、20代、本来なら一番楽しい時期に病気と隣り合わせで生きる。

それは、その同時も、そして今も、私の生活や考えに大きな影響を与える事になりました。

 

特発性血小板減少性紫斑病は、難病指定にされている疾患です。

私が発症した時は、ステロイドの大量投与が一般的な治療法でした。

ステロイドが効かない場合は、脾臓を摘出すると治る可能性もあり、と言われていました。今は、ピロリ菌を駆除するとよくなる事がある、と言われています。

完全緩解、と言われる安定した状態になり、日常生活を送っていた私ですが、ピロリ菌、いましたので駆除しました。

40代半ばの今現在、血小板数は10万には満たないものの低空飛行で安定していて、何の制限もない日常生活を送っています。

 

この病気の事も、思い出しながら、書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

出会い

昨年離婚が成立した元夫とは15歳歳の差がありました。

出会ったのは職場。

部署は違いましたが、社内のとある勉強会で一緒になりました。普段の業務では全く接点がない人だったので、詳しいプロフィールは知らず、『大先輩』なのであろう、というのはわかりましたが、年齢もわからず。

 

で、勉強会スタート時に自己紹介をしあった時に元夫が話した私より10歳年上の独身貴族という言葉を疑う事もありませんでした。部署も違うし、年齢差もあったので、その勉強会の時に特に親しく会話をした記憶もありません。

ただ、「よくしゃべる人だなぁ」と思っていました。

 

月二回開催される勉強会がスタートして、一年ほど経った時、とあるボランティアへの参加のお誘いがありました。障害のある方のレクリエーションに使う機材の設計。

私はすぐに参加を決めたのですが・・・元夫もそこに参加するメンバーにいました。

親しく会話をした事はありませんでしたが、勉強会で見る元夫の言動から、ボランティアに興味があるとは思えなかったのでその意外さに驚いた事をよく覚えています。そして、同時に「ボランティアをする仲間」という事で会話が増えていきました。

元夫は「自分、自分」と自分の話が多い人なのですが、ボランティアの時には口数が少なく、ひたすら機材の設計に集中しているように見えました。

 

私が思っていた人柄とは違うのかも。

第一印象、というか、自分の思い込みで人を判断してはいけないなぁ、と思いました。

 

 

そんな中。

ボランティアに参加していた人たちと、スキーに行く事に。

元夫は四輪駆動車に乗っていて、車を出してくれました。その日はかなり雪が多く、スキー場の近くで、吹き溜まりにハマってスタックしている車がありました。「大変だねぇ、ハマっちゃったんだねぇ」と車内で話していたのですが、運転していた元夫が、その車の前に車を停車させ、「けん引する」と言ったのです。

真夜中に地元を出発して、まだ日が昇る前の雪道。寒いし、雪もちらついている中、元夫と、車内にいた男性陣が外に出て、スタックした車にロープをかけ、引っ張り出すのを見ながら「やっぱり私が思う人柄とは違うんだな」と思った私。

そして、そこから、元夫との会話が増えていったように思います。

 

学生時代にバイクで日本縦断の旅をした事がある事。

ツアーではなく、個人旅行でヨーロッパに行った事がある事。

そんな話を聞いて、ますます、自分の人を見る目の無さを反省しました。そして、それ以降、元夫の言動で「?」と思う事があっても、「いやいや私の思い違いかも」と考えるようになっていったように思います。

 

 

後で知るのですが。

元夫がボランティアに参加したのは、その時扱う素材が珍しいものだった事、そのボランティアに参加しているメンバーに有名大学教授がいて、知り合いになりたかった事が理由で、障害者福祉にはまったく興味がなかったそうです。

そして。

雪道でスタックした車をけん引したのは、けん引ロープを使ってみたかった、という理由だけで・・・事実、それ以降、結婚生活中に同じような状況に出くわした時、元夫が救出をする事はありませんでした。

 

学生時代の日本列島バイク縦断は、実は列車の旅、しかも宿泊先は義父の秘書に予約してもらい、時々バイクを運送業者に頼んで運んでもらい、走りやすい道を走って、また運送業者に頼む、という坊ちゃん旅行。

個人で行った、というヨーロッパ旅行も、義父の秘書に手配してもらった個人旅行で、現地で案内もついた、という事が判明。しかも、往復の飛行機はビジネスクラス

 

それが悪い、というわけではないけれど、私が思っていたのとは全く違ったし、「嘘」はついていないけれど、その伝え方はどうなんだろうなぁ、と思いました。

元夫にはそういうところが多々ありました。嘘はついていないけれど、その言い方だと事実とは異なるとらえ方されるよね、みたいな。